古墳のある風景 12       川上 恵

仁徳の母

眠りについてからのわたくしは、とても平安でした。
幸せに浸っている日々でございました。
夫の応神天皇陵とわたくしの陵は、手を伸ばせばとどく近さ。
夫の息遣いを自分だけが感じられる喜び。

わたくしは仲姫命。仁徳天皇の母です。
羨ましいような境遇ですって? そうでしょうか。本当にそう思われますか。
わたくしの姉は隴たけた美しい人でした。
妹は若さで眩しいほどでした。
そんな姉と妹も天皇にお仕えしたのです。
皇后とはいえ、わたくしとて石ではございません。
心にさざ波がたたなかったと言えば嘘になります。
けれど、
わたくしたち姉妹は、天皇家の血をひく気高き血筋。
女の仕事は血筋を絶やさないことなのです。それが務め。

わたくしが逝き夫が逝き、
数えきれない年月を、春の陽ざしのように穏やかに過ごしておりましたものを、
世の中にはお節介で無粋な方がいらっしゃるものですね。
夫の傍にわたくしは眠っていないとおっしゃるのです。
じゃあ、夫の傍に眠っているのは誰なのでしょう。
わたくしは一体どこにいるのでしょう、
わたくしはまた苦悩を生きるのでしょうか。



仲姫命陵古墳


古墳のある風景 11       川上 恵

父親の匂いがする
 津堂城山古墳は老いた父親の匂いがする。
 春や秋の柔らかな陽射し、夏の木陰、冬の日溜り……、ベンチに腰かけると、大らかで武骨な父親に抱かれている気がする。節くれだった手が優しい。濠には菜の花、雪柳、桜、菖蒲、睡蓮、コスモス、そして梅と、四季の花々が古老の古墳を称え咲き競う。
 だが父は傷ついてもいる。散策する人を拒まない墳丘の斜面は削れ、往時の地表が露出し、木の根が太い血管のようにくねくねと地面を這っている。それを眺めるたび、私は皮を剥がれた因幡の白兎を連想して辛くなる。 だが古墳はそんなことは意にかいさず、堂々と疵をさらけ出し、堂々と花を咲かせる。 これが家長の姿だとでもいうかのように。 被葬者はだれか等、そんなことは些細なことだと、辺りの風景と同化している。
  津堂城山古墳は古市古墳群で一番古い4世紀後半の築造だ。だが、その風格は古さだけからくるものではなく、この古墳本来が持つ品性や遭遇した悲喜こもごもが醸し出している気がする。人に人品があるように、古墳にも品格があると思うのは私だけだろうか。
 叢から秋の虫の音が聞こえる。
 津堂城山古墳


古墳のある風景 10       川上 恵


雨の似合う古墳
小雨に煙っている応神天皇陵の風情と言ったら……。
緑濃い古墳の杜は、霧雨の向うにぼんやりとその姿を滲ませ、拝所の玉垣も白い玉砂利も清らかなことこの上ない。清浄で端正で雄大、「聖域」という言葉が頭をよぎる。
雨宿りをしているのだろうか、どこからか小鳥の鳴き声が聞こえる。
「雨の似合う古墳ですね」
雨の向うを凝視しながら友人が、ぽつりと言った。
「古市古墳群で一番大きな古墳なの。幽玄で、なんだか異空間にいるみたいね」
辺り一面に乳白色の紗がかかっている。

そう、ここは異空間。八幡神がおわす場所。

 応神天皇陵古墳


古墳のある風景 9       川上 恵

想像をかきたてる古墳
 面白い本に出合った。
 「源氏物語が語る古代史」。副題として、交差する日本書紀と源氏物語、とある。 「う~ん」とうなってしまった。
 作者は倉西裕子さん。紫式部は日本書紀を原資料として源氏物語を書いたのではないかと仮説を立てている。女性ならではの柔らかでロマンティックな発想だ。允恭天皇の第一皇子、木梨軽皇子は絶世の美男子だったそうだ。その皇子が光源氏のモデルだというのだ。
 光源氏がそうであるように、木梨軽皇子が立太子のとき、その容姿のあまりの美しさに、拝謁した者はみな感動せずにはいられなかったと、日本書紀には記されている。そして道ならぬ恋で都から追いやられることも同じだ。これも美男の允恭帝は、源氏の父、桐壺帝に当てられている。美男子の血筋なのだ。  紫式部は「日本書紀」に明るく、女官たちの間で、「日本紀の御つぼね」と渾名されていた。読み進めていくうちに納得している私がいる。

 そんな允恭天皇陵には十基もの陪冢があった。その一つ、陵の東側に位置する宮の南塚古墳は小高い円墳だ。被葬者は分からない。
 二十年ほど前までは古墳への細道は桜のトンネルで、散り敷いた花弁はさながらピンクの絨毯だった。倉西さんならこの古墳に誰を眠らせるだろう。想像をかきたてる古墳である。
 宮の南塚古墳

古墳のある風景 8       川上 恵


桜をめでた天皇

 允恭の陵は家から歩いて数分の所にある。前方部を北に向けた悠然とした古墳は、馴染んでいるせいか、愛着はひとしおである。
 江戸時代、墳頂部は綿畑だったらしい。河内地方は河内木綿の産地であった。綿の花は可憐だ。中心部が臙脂色(えんじいろ)の薄黄色の花弁は、嫋々とした風情で、掌に包み込みたくなる愛らしさだ。
 花の命は短い。夕方には桃色に染まり恥じらうように花弁は萎む。そして秋には雪のような純白の綿を吹く。さぞ美しかったろう。
 允恭天皇の名を知る人は少ない。ものの本によると、病弱だが慈悲深い天皇だったようだ。病気を理由に天皇の座を再三辞退したが、皇后の勧めを受け入れ即位を決める。だがそんな天皇も皇后を深く悩ます恋をする。皇后の妹・衣通姫(そとおりひめ)との恋愛は一途で、美しくも哀しい。こんな歌が残っている。
 花細(ぐわ)し桜の愛(め)でこと愛では早くは愛でず我が愛づる子ら
 (なんと繊細な桜の美しさ美事さよ。どうせ愛するのなら、もっと早く愛していたかっ た。そうしなかったのが悔しいよ、愛しい姫よ)

 夕暮れの允恭陵はことに美しい。何羽もの白鷺が、朱く染まった陵のねぐらに帰って行く。そして春には山桜が一本だけ、哀しい恋を知ってか墳丘の中ほどに咲く。

 
允恭天皇陵古墳

古墳のある風景 7       川上 恵

空玉

 空玉(うつろだま)、なんと美しい響きだろう。
 ある博物館で初めてこれを見た時、そのあまりの儚さに、言葉の響きに、ひと目で魅せられてしまった。私は言葉にさえ一目ぼれをする。
 古墳に眠る王や媛たちの耳を飾った、精緻な作りの耳飾り。空玉とは細い鎖と鎖を繋ぐ小豆くらいの空洞の玉である。多くは金や銀で出来ている。銀製のはくすみ、もはや灰色になっているのが、いかにも哀れでうつろだ。
  シャラシャラと微かな音を立てる繊細にして雅な副葬品を、千四、五百年も懐に抱いていたのが小白髪山(こしらがやま)古墳である。尤も出土したのは耳環と空玉だけだが。
 清寧天皇は生まれた時から白髪だったそうだ。少年時、天皇は我が容姿にどんなに心を痛め、傷ついていた事だろう。陵の名は残酷にも白髪山古墳。小白髪山古墳はその陪冢である。主に従うように中心軸を同じくして、前方部を西に向けている。名称といい、その位置や大ささといい、忠誠心のようなものが感じられ私は好ましく思う。空玉のついた耳飾りを揺らせていたのは、天皇の白髪を哀しく愛しく思っていた人だろうか……

 清寧天皇陵古墳


古墳のある風景 6       川上 恵  


冷淡さと優しさと
 濠を風が渡った。さざ波が水面に広がった。
 金砂銀砂をばらまいたような波頭が美しい。
 背中の赤い大きな亀が、水の中から顔を出した。古代なら間違いなく吉祥である。
 だが私には、目の前の陵と雄略帝が結びつかない。その名に比して墳墓が小さく、雄々しさが感じられない。
 「こもよみこもちふくしもよ……」
 万葉集の第一首はこの歌から始まる。
 そこの若菜を摘んでいる君、僕も名乗るからさあ、君も名前を教えてよ。今風に言えばナンパの歌である。またある女性には、僕が必ず迎えに行くから誰とも結婚しないでよ。と熱く囁いたかと思うと、そんなことはすっかり忘れてしまうという薄情さ。そのうえ自分が王権を得るためには、身内をも殺してしまう残忍、非道ぶり。
 だが、ふと何かの拍子に先の女性との約束を想い出し、いまや面影も残っていない老女に温情を示す。
 残忍はもっての他だが、冷淡さと優しさの二面性を持った男性にも、女性は魅かれるものだ。多分。
 雄略帝に思いを馳せている内に、水面は金砂ばかりになった。夕焼けが美しい。
 雄略天皇陵


古墳のある風景 5        川上 恵


シルクロードの香り

 安閑天皇陵にはシルクロードの香りが漂う。正倉院御物に納められているガラス碗と瓜二つものが、この古墳から出土したのだ。
 ササン朝ペルシャ製の厚手の円形切子碗は、天山山脈・敦煌・長安、そして東シナ海と、絹の道を通って奈良へ。そして、そこからまた少しだけ旅をして、河内の地に落ち着いた。ガラス碗はなんと過酷な長い旅を続けてきたのだろう。距離的にも時間的にも。
  「はるばる遠いとこまで、よう割れんと来たね。河内までよう来てくれたね」
 見たこともないのに、撫でたいほどの愛しい気持ちが沸きあがる。西域の匂いを纏ったガラス碗が出土したというだけで、なんだか安閑天皇がエキゾチックな人物に思えてくる。
 戦国時代には畠山氏らの本丸ともなった古墳だが、そんなことは知った事じゃないとばかりに、後方にある后の春日陵と仲良く寄り添い、在りし日を語らっている。
 東京国立博物館に収められているという実物に、一度お目にかかりたいものだ。

 安閑天皇陵古墳


古墳のある風景 4        川上 恵


ヒーロー

神話でのヒーローと言えば、まずこの人。
 古事記では倭建命、日本書紀では日本武尊と記されるヤマトタケルである。乱暴者ということで父親に疎まれ、熊襲や蝦夷征伐に東奔西走させられるが、伊吹山で病を得、能褒野で亡くなってしまう。白鳥陵と称されるものが三基ある。白鳥と化したタケルが飛び立ち、そして舞い降りた場所である。
 私は俄考古学ファンとなって、三重県の能褒野と奈良県の琴弾原を訪ねた。どちらの陵も、鬱蒼とした、やぶ蚊の多い雑木林のようだった。陪冢に名前はなく「は号」「へ号」などと、小さな標識が立っている。埋葬されている人はさぞや肩身が狭いだろうと、私はいらぬ心配をする。河内生まれ河内育ちの私は思うのだ。タケルの陵墓は古市古墳群で七番目に大きい、日本武尊白鳥陵こそが相応しいと。
 満々と水をたたえた濠には水鳥が揺蕩う。父タケルに憧れた仲哀天皇が、 父の魂は白鳥になって天に昇ったと信じ、全国から白鳥を集め陵に放ったと言う美しい話に胸を打たれる。
 悠然とした墳墓は、悲劇を生きたタケルを慰める安らかさ清々しさである。
 日本武尊白鳥陵古墳

古墳のある風景 3         川上 恵

 

寂しい名を持つ天皇

 英雄の父とやり手の妻、そして出来た息子。こんな家族に囲まれた男は不幸である。
 父親は神話の英雄ヤマトタケル、妻は三韓征伐で、身重の体ながらお腹に石をまいて出兵した、かの有名な神功皇后。そして息子は、日本に文字や先進の文化を導入した先見の明ある応神天皇。実はこの息子の出生も誰の子か怪しいものだと、世間はかまびすしい。
 私はそんな影の薄い仲哀天皇に同情をする。
だがそんな世俗を超越したように、大和のシンボル二上山を遠景とした仲哀天皇陵は堂々と端正である。
 仲哀天皇は父が大好きだったそうだ。父の墓所も息子の墓所も近くである。会いたいと思えばいつでも会える距離にある。だが、妻の陵は奈良県佐紀古墳群と遠い。神がかりの妻とは離れた所で、静かに眠りたいのだろうか。
 ところがである。最近この陵は倭の五王の武、つまり雄略天皇の陵墓ではないかとの説が有力になってきた。なるほど、そんな目でみると、ますますこの古墳は威風堂々と風格を持って見えてくる。そして仲哀などと寂しい名を持つ天皇は、その存在さえ儚げになってゆく。

 仲哀天皇陵古墳


古墳のある風景 2        川上 恵


古室山幻想

 藤井寺市でのお奨めはと聞かれると、葛井寺も道明寺も素敵だけれどと言いつつ、「古室山古墳」に案内する。彼らは納得いかなげな顔をするが、現場につくや「いいね!」と、被葬者不明の、謎の多いこの古墳に魅せられる。
 あれは若葉の美しい頃だった。親指ほどの柿の実が翡翠かエメラルドのようだった。
辺りに人影はなく、私は桜の切り株に腰かけた。木漏れ日がチロチロと揺れていた。不思議な安らぎと、懐かしい優しさが私を抱きしめる。目を閉じると風の音が聞こえる。やがて微かに地中深くからざわめきの気配、鈴のような笑い声も。幻聴だろうか、柿の葉擦れだろうか。
 ふいに、この下で眠っている人と、気の遠くなるほどの昔に出会ったことがある気がした。不思議な既視感。あまりの心地よさに一瞬、眠っていたのだろうか。
 鳥がさえずっている。
 いらい古室山古墳に眠っているのは、美しい媛だと勝手に決めつけている。梅や桜が基底部を裾模様のように飾り、秋には墳丘が丸ごと赤く染まる、その可憐さはまさに媛君の寝室。こんな事を言うと、偉い先生方に叱られるだろうか。
 
 墳頂の柿の立木          緑の中の陵線


古墳のある風景 1                                           川上 恵

車窓から

 近鉄電車が藤井寺駅を出、土師ノ里・道明寺駅と進むにつれ、小高い丘のようなものがポカリポカリと出現し、車窓を流れる。
 古墳である。
 やがて古市駅近くになると、深い緑のなだらかな小山が、窓一杯に広がる。仁徳陵の次に大きい、いや体積では日本で一番大きい「応神陵古墳」だ。
 藤井寺市と羽曳野両市に点在する古墳群は「古市古墳群」と呼ばれ、44基が現存する。古代この地には「河内王朝」なるものが存在したという。 倭の五王と呼ばれる王達の陵墓もある。
 王達は千数百年もの長きにわたり、人々の暮らしを眺めてきた。そして今も見続ける。 なんという謎を潜めたロマン、そして神秘……。
 大和を国のまほろばと呼ぶなら、河内は「黎明の地・母なる地」と言えるかもしれない。 古墳と共にあるこの地に華美な風景はないが、おおらかな明るさが広がる。
 今も当時と同じ土と川の匂いがする。古代と同じ風が吹く。
 古墳を縫って走る近鉄南大阪線



川上恵氏プロフィール

藤井寺市在住のエッセイスト。各地で随筆講師をつとめる。各種活動に活躍。著書には「遣唐使物語 まなり」(㈱新樹社)ほか多数。


世界遺産登録をめざして 12 -街の中の世界遺産-

<国内推薦三たび見送られる>
  文化庁の文化審議会は、平成28年7月25日、平成30年(2018)の世界文化遺産登録を目指す国内の推薦候補として「長崎の教会群とキリスト教関連遺産」(長崎県、熊本県)を決めました。「百舌鳥・古市古墳群」は、平成25年(2013)、昨年、今回と三たび推薦が見送られました。藤井寺市をはじめ関係自治体では、引き続き早期の登録を目指して、さらに取り組みを強めることとしています。現状からすると、来年度、国内推薦を受け、平成31年(2019)登録を目指すことになりそうです。なお、今後のスケジュールは、本稿「世界遺産登録を目指して 10-その1」の表のほぼ2年遅れで進められる予定です。
<進捗と一定の評価>
  本年3月に百舌鳥・古市古墳群世界文化遺産登録推進本部会議が文化庁に提出した推薦書原案では、過去に文化審議会から指摘された検討事項などを踏まえて、高速道路に近いなど景観に問題のある古墳2ヶ所を構成資産から削除して59基(百舌鳥27基、古市32基)としました。これらの古墳群は、前方後円墳、帆立貝形墳、円墳、方墳と多様な墳形があり、墳丘規模は400m以上の巨大古墳から20m程度の小古墳まで変化に富んだ規模を有している。そして、これらの墳形と規模を組み合わせた「5つの階層」(注参考)に区分され、その階層は、そこに葬られた被葬者たちの王を頂点とする階層的な政治的地位を視覚的に表現したモニュメントであると、「顕著な普遍的価値」の説明を補強表現したことが特徴でした。
  また、従来から課題として指摘されていた古墳の保存管理体制については、本年4月から建築物の高さや屋外広告物の規制など緩衝地帯における保全が開始されました。
 文化審議会では、こうした構成資産の選択や保存管理面では進捗が見られたとして一定の評価をしつつ、今後、さらに「顕著な普遍的価値」の合理的説明が課題だとしています。来年度に向けて、古墳の「階層性」や「時代設定」と構成資産の選択の論理的説明の検討が重点的に行われるものと思われます。
<実効性のある来訪者対策を!>
  来訪者対策について、他市ではガイダンス施設の設置などが行われていますが、全体として交通手段の充実、見学者の誘導、地域との協力連携、安全管理等の検討が不十分で、早急に実効性のある計画を策定することが望まれています。
  藤井寺市では、この一年、来訪者に対する古墳の価値の説明に力をいれ、説明版・解説版、各施設のパネルの改修、Wi-Fiやデジタルサイネージ(液晶パネルで情報提供)の設置などを行ってきました。本年は、さらにバーチャル映像、空撮映像などの作成、古墳出土遺物の復元、レプリカ作成を行って、来訪者に古墳の魅力を感じてもらう事業をすすめるとのことです。 
  しかし、私たちが強く望んでいる休憩所やトイレの設置などが行われておらず、早急な具体化が望まれます。
                                         (2016年8月 勝部)
(注)「5つの階層」
  第1階層 300m前後以上の巨大前方後円墳
  第2階層 220m前後の大型前方後円墳
  第3階層 150m前後の大型前方後円墳
  第4階層 100m前後の小型前方後円墳
  第5階層 80m以下の帆立貝形墳、円墳、方墳  
(参考資料)
 「百舌鳥・古市古墳群 世界遺産一覧表への記載推薦書原案」(2016年3月)
  原案は藤井寺市では市役所1階ロビー、情報交流広場ふらっとで閲覧できます。
  「概要版」は下記よりご参考下さい。 http://www.mozu-furuichi.jp/jp/conference/headquarters_thirteen_dl/gidai01.pdf


世界遺産登録をめざして 11 -街の中の世界遺産-

<平成30年の登録を目指す>
 平成27年7月28日、文化庁文化審議会は、平成29年(2017)の世界文化遺産登録を目指す国内候補として、福岡県の古代遺跡「『神宿る島』、宗像・沖ノ島と関連遺産群」を選定し、「百舌鳥・古市古墳群」は選定を見送られました。私たちは、選ばれることを期待して固唾をのんで夕方のニュースを待っていましたが、大変残念な結果となりました。
 百舌鳥・古市古墳群世界文化遺産登録推進会議は、選定が見送られたことを受けて、8月24日、大阪府副知事、藤井寺市長、羽曳野市長、堺市長が出席して今後の対応を協議し、平成28年度(2016)の国内推薦への選定、平成30年(2018)の登録を目標とする方針を決定しました。

<熟度の高い推薦書原案(日・英)の作成>
 文化庁の世界文化遺産特別委員会は、今後登録を推進するために「検討を深める必要のある事項」として
①顕著で普遍的な価値の説明のさらなる明確化
②個別資産の説明の精緻化
③国外の同種の資産との比較検討の強化
④緩衝地帯の保全の方針の説明の明確化
⑤来訪者管理及び資産全体の価値の伝え方の戦略の精緻化
を提示しています。
 推進本部会議では、これらの指摘事項を踏まえ、文化庁及び宮内庁と協議を行うなどして、来年3月までに、熟度の高い推薦書原案を作成する計画です。また、国内推薦候補になれば英語版推薦書をユネスコに提出する必要があります。そのため、推薦書が登録審査を行う海外専門家にとって理解しやすい内容にする英文化の作業も並行的に進められています。

<今までにない機運の盛り上がりを>
 「百舌鳥・古市古墳群」の登録へ向けて、準備は着々と進んでいます。平成28年1月からは、資産の緩衝地帯における「建物の高さ」、「建築物の形態・意匠」、「屋外広告物」の規制が実施され、本格的に資産の保護のための規制が始まります。知名度アップのため、首都圏をはじめとしたPRの全国展開や理解度アップのための市民と一体となった大規模なシンポジウム、イベントなども検討されています。私たち観光ボランティアなどの団体は、来訪者対策が大きな関心事です。「まほらしろやま」のようなトイレ、休憩場所、情報提供をもつガイダンス施設の整備を強く望んでいます。こうした来訪者対策とイベントなどが車の両輪として推進されれば、機運は一層盛り上がるのではないでしょうか。
 なお、平成30年登録へ向けてのスケジュールは、前稿NO.10の表のほぼ一年遅れで進められる予定です。
(参考資料)
(1) 「百舌鳥・古市古墳群世界文化遺産登録実現に向けた今後の方針」(推進本部会議ホームページ)
(2) 「第11回百舌鳥・古市古墳群世界文化遺産登録推進本部会議 議事録」(推進本部会議ホームページ)  
                                          (2015年11月 勝部)


世界遺産登録をめざして 10-その2 -街の中の世界遺産-
推薦書原案(平成27年3月)の解説のつづき
<構成資産>

「百舌鳥・古市古墳群」の構成資産は、古墳時代の最盛期である古墳時代中期(4世紀後半~5世紀後半)に築造された古市エリア33基、百舌鳥エリア28基、総数61基の古墳です。前回より、1基(峯ケ塚古墳)増え、一部の資産名(仲姫命陵古墳、白鳥陵古墳)が変更されました。

そして、これらの資産は「古墳時代の文化の稀有な物証」及び「古代国家形成過程という人類史上の重要な段階に造られた巨大王墓の事例」であり、世界の他の地域にない価値を有する資産であることが説明してあります。特に、61基の資産ごとに写真や等高線図、出土品などを用いて紹介してあるページは、資産の価値を証明する説得力ある内容で、古墳の魅力が伝わってきます。

<資産の保存管理>

「資産の保存管理」については、史跡(文化財保護法、27基及び一部陵墓周辺の史跡)と陵墓(国有財産法、34基)の二つの制度によって確実に行うこととしています。前回、法的管理が不明確であった資産のうち、10基は平成25(2014)及び平成26年(2015)に、2基は、今年中に国の史跡に指定される予定です。こうして、すべての資産は法に基づく指定保護が行われることになります。

「周辺環境の保全」については、資産周辺を緩衝地帯に設定し、都市計画法、景観法、屋外広告物法等に基づき、建築物の高さ、形態意匠、屋外広告物に制限を設け、保存を図る計画になっています。すでに住民説明が行われており、条例改正など、保全の具体化が進められています。更に、資産の保護を将来にわたって確実に実施する「包括的保存管理計画」を策定、協議する場として府、関係市、宮内庁による「百舌鳥・古市古墳群世界文化遺産協議会」を設置するとしています。

<来訪者対策>

私たち地元ボランティア団体にとって、増加が予想される来訪者対策は、関心の一つです。来訪者には鉄道等の公共交通機関の積極的誘導を図り、駐車場、トイレ等の便益施設の整備を進め、見学コースは、住民のプライバシーや生産活動にも配慮して適切に設定、資産を案内する日本語・外国語ガイド養成も検討する計画になっています。

なお、推薦書原案は、市世界遺産登録推進室で閲覧でき、概要版は、推進本部ホームページでも見ることができます。

(参考資料等)

①本文中「推薦書原案」とは、「百舌鳥・古市古墳群世界遺産一覧表への記載推薦書原案エグゼクティブ・サマリ-」及び「同メインドキュメント」及び「世界遺産一覧表への記載推薦に係わる百舌鳥・古市古墳群包括的保存管理計画」の総称。

②「世界遺産登録推薦書原案(概要版)百舌鳥・古市古墳群」(平成27年3月、推進本部)

③「平成27年度事業計画(平成27年3月、推進本部)

④「百舌鳥・古市古墳群世界文化遺産登録実現に向けた今後の方針」(平成25年11月、推進本部)

⑤「我が国の世界遺産候補物件の推薦状況と課題等について」(平成25年4月、文化審議会世界文化遺産・無形文化遺産部会世界文化遺産特別委員会(第1回)議事次第) 

⑥「世界文化遺産登録を目指す百舌鳥・古市古墳群」(推進本部ホームページhttp://www.mozu-furuichi.jp/

                        (20157月 勝部)


世界遺産登録をめざして 10-その1 -街の中の世界遺産-

<世界遺産推薦候補 7月に選定>

 平成27年7月中・下旬開催予定の文化庁文化審議会において、平成29年(2017)の世界遺産登録推薦国内候補が選定されることになりました。
 平成29年登録を目指す「百舌鳥・古市古墳群」は、平成27年3月、推薦書原案を国に提出しており、地元では、国内候補として選定されることに期待が膨らんでいます。しかし、ユネスコの暫定リストに掲載済みの「百舌鳥・古市古墳群」、「北海道・北東北を中心とする縄文遺跡群」、「金を中心とする佐渡鉱山の遺跡群」、「宗像・沖ノ島と関連遺産群」の4件が今年の国内推薦を目指しており、1件の推薦枠をめぐって厳しい審査、選定が予想されます。
平成29年登録のためには、概ね下表のスケジュールで作業等が進められます。今までの経過も含めて整理すると

平成22(2010)

6

世界遺産暫定一覧表への記載を日本政府決定

平成22(2010)

11

ユネスコの世界暫定一覧表へ記載。(一覧表に記載されていないと、ユネスコに推薦書を提出しても審査されません)

平成25(2013)

6

平成27年登録を目指して国へ推薦書原案提出。推薦見送り

平成27(2015)

3

平成29年登録を目指して、国へ推薦書原案再提出

平成27(2015)

7

ユネスコへの国内推薦候補決定

平成28(2016)

1月頃

推薦書(正式版)国へ提出

平成28(2016)

21日まで

ユネスコへ推薦書提出

平成28(2016)

夏頃

ユネスコ諮問委員会(イコモス)現地調査

平成29年(2017

6

ユネスコ世界遺産委員会で登録可否決定


<具体的でわかりやすい推薦書原案>

 今回の百舌鳥・古市古墳群世界文化遺産登録推進本部会議(以下「推進本部」)による推薦書原案の提出は、平成25年につづき2度目になります。前回は、資産の価値証明や資産の管理体制など「引き続き検討を深める必要がある」として、国内推薦は見送られました。その後約2年かけて、国内外専門家による精査や類似資産の比較研究なども新たに行われ、資産のわかりやすい説明方法についての検討が行われました。また、大きな課題になっている資産の管理体制については、法的な整備や具体化が進められました。登録を審査する外国人専門家にも理解してもらうため、コラム欄やイラスト、地元写真家保田紀元氏等の古墳写真をふんだんに挿入してあり、前回の約2倍の400ページにも及ぶカラフルな推薦書原案です。
「記載内容」は 10-その2 に続く

世界遺産登録をめざして 9 -街の中の世界遺産-

<世界にない特徴ある古墳群>

 百舌鳥・古市古墳群の世界遺産登録を目指す第4回国際シンポジウムが平成26年11月24日、四天王寺大学(羽曳野市)で開かれ、約600人が参加しました。平成29年度登録に必要な推薦書原案の検討状況や課題などについて、国内外専門家による討論が行われました。
 専門家からは、「200m以上の古墳は世界で50基あるが、そのうち日本には30基以上ある。」「大きさで身分を決めるなど人類史的にも特徴がある。」などの意見が出されました。百舌鳥・古市古墳群は、世界の類似の古墳と比較しても、他の墳墓群にはない独自の「古墳文化」を有する特徴ある古墳群で、「世界遺産としての価値がある」ことが強調されました。
 世界遺産を目指す古墳群61基のうち34基が宮内庁の管理。今回、初めて宮内庁職員の参加があり、古墳は「文化財的な側面もあるが、現在も祭祀が継続されている。かってはマキの供給であったり、用水に利用されたりした里山的存在であった。今後も地元から愛される古墳を目指したい。」と興味深い話がありました。
  また、専門家から地元ボランティア団体に対して「古墳の価値を外部に発信し、もっとたくさん来てもらうこと、海外からの人を迎える体制を整えること。」とのアドバイスもありました。
 こうした専門家の意見を参考にして、推進本部では推薦書原案を作成し、本年度末に国へ提出する予定です。世界遺産登録へ向けて、大きく動き出したことを感じた国際シンポジウムでした。


<世界遺産を守る緩衝地帯の設定>

 世界遺産登録のためには、古墳に価値があることだけでは十分ではありません。将来にわたって保存管理できる体制の担保が求められています。そのため、現在、関係自治体では、その体制づくりを進めています。
 藤井寺市では、本年5月から6月にかけて、「古市古墳群の緩衝地帯(バッファゾーン)の制限について」の住民説明会が各地区で行われました。この制限は、世界遺産登録の古墳周辺を緩衝地帯に設定、その地域内での建築物の高さや形態意匠(外観)、屋外広告物などを規制するものです。もって、市街地と古墳群の景観形成を図り、世界遺産を守ることを目的にしています。来年の平成27年4月の議会で条例化し、その後6か月の周知期間を経て、平成28年1月から施行される予定です。
(注) 「古市古墳群の緩衝地帯(バッファゾーン)の制限」については、藤井寺市広報(6月号)及び市ホームページなどをご参照ください。
(参考1) 推薦書提出と緩衝地帯設定との関係スケジュール

推薦書提出スケジュール

藤井寺市緩衝地帯設定スケジュール

26年度


平成27年2月

 推薦書原案 国に提出

平成26年5月~7月

地元説明会の開催

平成26年度末

 審議会等開催 諮問等

27年度

平成27年9月

 推薦者暫定版 ユネスコに提出

平成28年1月

 推薦書 ユネスコに提出

平成27年4月~

 条例改正、周知期間(6か月)

平成28年1月

 条例施行(緩衝地帯の制限)

(推進本部会議資料及び藤井寺市「古市古墳群の緩衝地帯の制限について」(住民説明会説明資料)より作成)
(参考2) 本年6月、「富岡製糸場と絹産業遺跡群」は、世界の絹産業の発展に貢献し、絹消費の大衆化をもたらしたことが評価され、国内の産業遺産としては初めての世界文化遺産に登録されました。これで、日本の世界文化遺産は18件、世界では1007件になりました。

(2014年11月 勝部)


世界遺産登録をめざして 8 -街の中の世界遺産-

<登録を平成29年度とする新たな目標を決定>
 登録推進本部は、平成25年11月26日、大阪府、藤井寺市、羽曳野市、堺市と協議を行い、今年度の文化審議会の結果及び文化審議会等から指摘されている課題を踏まえ、平成29年度の登録を新たな目標に据えて事業を推進していくことを決定しました。
 世界遺産登録されるには、政府が国内推薦を決め、ユネスコに推薦書を提出する必要があります。大阪府と3市は6月、文化庁に平成27年度登録を目指して推薦書原案を提出しましたが、文化審議会は「引き続き検討を深める必要がある」として、本年度の推薦は見送られました。
 ユネスコへの各国の推薦数には限定(平成24年度から1件)があり、国内推薦競争は激化(平成27~29年の登録を目指している資産は8件)しています。そのため、平成26年度までに、より熟度の高い推薦書の作成、古墳群の管理体制や法的措置の整備、緩衝地帯における具体的な規制内容の設定などを行い、平成27年度の国内推薦を目指すことになりました。

<興味深い推薦書の精査>
 熟度の高い推薦書の作成は、「世界遺産としてのコンセプトと価値」が登録審査を行う海外専門家にとって理解しやすい内容かどうかの精査が課題であり、それに向けて専門家との作業が行われます。11月に開催された国際専門家会議で海外専門家からは、「倭の王家」をどう説明するのか、なぜ百舌鳥・古市古墳群が日本の古墳文明の代表なのか、陪冢や中小古墳を構成資産として選択した根拠はなにか、など率直な疑問が出されたそうです。簡単にわかり易く表現するのは難しい作業だと思われますが、私たちにとっても大変興味深いものがあります。世界の誰からも支持を得るようなすばらしい推薦書の作成を期待しています。

推進本部は登録への計画(案)を次のように決めました。

(注)文中の
「明治の産業革命遺産」は、「明治日本の産業革命遺産 九州・山口と関連地域」
(福岡、長崎、鹿児島など8県)の略。
「長崎教会群」は、「長崎の教会群とキリスト教関連遺産」(長崎、熊本両県)の略。
「有識者会議」は、「稼働資産を含む産業遺産に関する有識者会議」の略。

勝部 鎮)



世界遺産登録をめざして 7 -街の中の世界遺産-

「百舌鳥・古市古墳群」は見送り
 2015年(平成27年)夏の世界文化遺産登録の国内推薦候補は「明治日本の産業革命遺産」に決まりました。本年の推薦を目指していた「百舌鳥・古市古墳群」は、見送られることになり、今後、文化庁審議会の審議結果などを踏まえて、未策定の古墳の管理・保存計画を策定し、早期登録実現を目指す取り組みを行なうことになりました。
 世界遺産は「貴重な遺産を、損傷や破壊等の脅威から守り将来の世代へ伝えて行く」ことが目的です。そのための、登録の骨格となる管理や保存計画が具体化されない状態での登録はあり得ないことです。行政や市民が一体となって、相互に納得できる計画が策定され、具体化されてからでも遅くないと思います。
 来年以降の候補がどこになるか、まだ決まっていませんが、これまでの経過から考えれば「長崎教会群」が2016年(平成28年)の登録を目指すことは順当だと考えられており、「百舌鳥・古市古墳群」は、早くても2017年(平成29年)以降の登録を目指すことになりそうです。
国の推薦機関は一つに
 余談になりますが、今回の推薦決定は、国民にはわかりにくく、不透明であり、「政府の中で競い合っている」との印象も指摘されています。内閣官房の有識者会議で決定した「明治の産業革命遺産」と文化庁文化審議会で決定した「長崎教会群」のどちらを推薦するか、推薦枠1件を巡って政府内部で調整され、9月、「明治の産業革命遺産」の推薦が決定されました。
 今までは古い寺社や使われていない文化的要素の強いものを文化庁文化審議会が推薦してきました。しかし、政府は、これでは稼働中の産業遺産は推薦できないとして、昨年、稼働中の産業遺産も世界遺産に推薦することができる方針を閣議決定し、それを選定するための有識者会議を開催しました。こうして、政府の有識者会議と文化庁文化審議会の二つの機関が世界遺産推薦を行う機関になってしまいました。国の推薦機関を統一して、わかりやすい決定をしてほしいと思います。
(注)文中の
「明治の産業革命遺産」は、「明治日本の産業革命遺産 九州・山口と関連地域」(福岡、長崎、鹿児島など8県)の略。
「長崎教会群」は、「長崎の教会群とキリスト教関連遺産」(長崎、熊本両県)の略。
「有識者会議」は、「稼働資産を含む産業遺産に関する有識者会議」の略。
                                         (勝部 鎮)


世界遺産登録をめざして 6 -街の中の世界遺産-

推薦書原案を文化庁へ提出 
6月4日、推進本部は文化庁に対し「世界文化遺産登録推薦書(原案)」を提出しました。世界遺産登録を平成27年に実現するためには、政府が平成25年度中にユネスコへの推薦を決め、推薦書原案に基づく推薦書を提出する必要があるからです。
 本年度の推薦を目指している国内の案件は4件あります。これらの案件の推薦書原案が国の世界文化遺産特別委員会で検討され、夏ごろ、今年度の日本の推薦候補が決められます。ユネスコへの推薦枠は1件ですので、推薦書原案に対する厳しい検討が予想されます。
 少しさかのぼりますが、本年4月、文化庁は、日本の世界遺産候補10件の準備状況と課題等について評価し、文化審議会へ報告しました。それによると、今年の推薦決定を目指す4件のうち「長崎の教会群とキリスト教関連遺産」は、文化財の管理計画が整い「推薦可能」と判定されました。しかし、「百舌鳥・古市古墳群」は、包括的管理計画の策定がなされていないことなどから、「平成25年度の推薦は、かなり困難」との報告がされ、本年度推薦についての先行きは、極めて不透明です。
 
60基の古墳が世界遺産候補に
 推薦書原案では、世界遺産に登録される古墳の範囲を4世紀末から5世紀にかけて造られた王家の墓群とし、百舌鳥古墳群28基(現存は44基。)、古市古墳群32基(同45基。)、合計60基(同89基。)を候補としました。
 また、古墳の周辺に緩衝地帯を設定し、建物の高さ、意匠(色彩)、屋外広告物の規制などを行い、保存・継承するために適切な整備やモニタリングを行う、としています。これらを確実に実行するため包括的保存管理計画も作成されました。
 このように、事務的には世界遺産登録へ向けて、前に進み、街の将来像を示す「百舌鳥・古市古墳群を活用した地域活性化ビジョン」の検討なども進んでいます。しかし、市民の関心はまだまだのようです。推薦書原案の提出を機に、市民の機運の盛り上がりが強く期待されています。


世界遺産登録をめざして 5 -盛りあがる取り組み-
登録は平成28年以降か?

 大阪府と関係3市による世界文化遺産登録推進本部会議の主催で、昨年12月に登録推進国際シンポジウム、本年2月には世界遺産フォーラムと登録を目指す大規模な会議が相次いで行われました。会場には多く方が参加され、関心の高さが伺えました。
 国際シンポジウムでは、近つ飛鳥博物館の白石館長は、陵墓としての古墳は、現在も祭祀の場として宮内庁で管理されているが、それ自体が文化財なので、世界遺産登録に際して何ら影響を与えるものではないとの心強い発言がありました。また、中国、韓国の専門家からは既に世界文化遺産として登録されている皇帝陵や王陵の保護管理の現状について具体的な事例をもって紹介され、隣接する住民との協調、将来的には景観の維持を含む環境維持計画の重要性が指摘されていました。
パネルディスカッションでは、日本の歴史の中で多くの古墳が造られた時代の位置づけの認識や地元住民の古墳の重要性の再認識が大切であり、保護管理には地域住民の協力が不可欠であると強調されていました。
 世界遺産フォーラムでは、前ユネスコ事務局長、日本イコモス国内委員会委員長、前内閣官房参与、ユネスコ国内委員など世界遺産登録の評価や実務に係わった専門家が、登録に向けて必要なものについての講演やディスカッションを行いました。そのなかで、前ユネスコ事務局長は、登録に向けて平成25年は「富士山」、「鎌倉」、26年「富岡製糸場」、27年「長崎教会群」と動いている、との報告がありました。「百舌鳥・古市古墳群」については言及されず、27年登録に向けて動いていると思っていた私たちは少しショックでした。これからどのような動きになるかわかりませんが、「陵墓が戦争、災害、開発のなかで1600年前から守り続けられていることは奇跡である」との発言に勇気づけられたフォーラムでした。

世界遺産登録をめざして 4 -登録への住民参加-

国際専門家会議にかかる意見交換会に参加して
 平成24年12月15日、第2回百舌鳥・古市古墳群世界文化遺産登録推進国際シンポジウム(16日開催)に先立ち、国際専門家会議にかかる意見交換会が大阪府立近つ飛鳥博物館で実施され、当会も一市民団体として参加しました。
 参加者は白石館長を初め、オランダ、中国、韓国のイコモスの関係者の計4名の専門家、市民団体としてフィールドミュージアムトーク史遊会(2名)と当会(3名)、行政からは大阪府、堺市、羽曳野市、藤井寺市の担当者5名、事務局として大阪府の担当者3名の計17名がロの字に配席し意見交換が行われました。
 海外の専門家からは各国の世界遺産と地域社会の結び付きについて、事例をもとに紹介されました。そこでは「世界遺産登録・管理保存には地域住民の協力なしでは成り立たない」と異口同音に語られました。 また、方針の決定から実施までのあらゆる段階で地元住人が係わった事例の紹介もありました。白石館長からは百舌鳥・古市古墳群の登録推進について、我々ボランティアには「一般住民との橋渡しを期待します」との発言が特に印象に残りました。
 一住民としてはバッファーゾーンの問題が気がかりです。古墳保護のために周囲に設けるバッファーゾーンを一律に設定するのは困難であること。古墳に隣接する地域は生きている町並みであり、個々の古墳の現状に沿って柔軟に考える必要があるとの意見がありました。
 当会からは小野会長がボランティア活動の主旨や具体的な活動内容を紹介しました。
予定時間を上回る盛り上がりで、百舌鳥・古市古墳群の世界遺産登録が身近に感じられた意見交換会でした。

世界遺産登録をめざして 3 -街の中の世界遺産―

推薦書掲載測量図作成される

 2012年9月18日、百舌鳥・古市古墳群世界文化遺産登録推進本部会議(以下「推進本部」。)は、精確な古墳測量図を世界遺産一覧表登録推薦書(以下「推薦書」)に掲載するため、82基の古墳の航空レーザ測量図を作成した、と発表しました。
 今回のレーザ測量図は、10㎝~20㎝間隔の等高線で表してあり、墳丘の斜面や段築、造出部など墳丘の状態がはっきりしています。また、応神天皇陵古墳や履中天皇陵古墳では、中心の埋葬施設とは別の新たな遺構が確認されているそうです。想像する築造当時の墳丘から変形している個所も多く、生々しくもあり、痛々しくもあります。
 これらの測量図は、ユネスコに提出する推薦書に必要な「資産の価値」、すなわち古墳は日本の「国家形成過程を示すモニュメント」であり、「築造に膨大なエネルギー」を注いだ「独特の文化」が存在したことを物語る資産である、との証明のための資料として活用され、推薦書の一層の充実が図られそうです。
 私たちが古墳の勉強やガイドなどで使用している馴染みの測量図は、約80年前の大正末期から昭和初期にかけて、宮内省の外局である帝室林野局陸地測量部(当時)が作成した高さ1mの等高線のものです。樹木で覆われているため良く分からない墳丘の現状も今回のレーザ測量図とあわせて使用することができれば、古墳の状態を一層分かりやすく説明できそうです。
 測量図展(いずれも1階ロビ-、ホール)
  近つ飛鳥博物館 平成24年9月25日~10月8日
  堺市役所     10月10日~10月18日
  藤井寺市役所   10月22日~10月31日
  羽曳野市役所   11月5日~11月16日


世界遺産登録をめざして 2 -街の中の世界遺産―

登録への道筋

 百舌鳥・古市古墳群の世界遺産登録を、最短で平成27年(2015年)とすることを目指して推薦書(案)の作成準備が進められています。ユネスコの取り決めによると、政府の推薦書の提出は、毎年2月1日が期限。
 その後約1年半かけて現地調査などの評価を行い、推薦の翌年、登録の可否を決定します。少しせっかちですが、百舌鳥・古市古墳群の登録へ向けての道すじを平成23年に登録された「平泉」の経過もあわせて想定してみました。
 ・平成26年2月1日までに、日本政府は推薦書をユネスコ世界遺産委員会へ提出。
 ・平成26年夏~秋にかけて諮問機関(イコモス)の現地調査。補完資料の作成や保存管理体制などについて必要な調整。
 ・平成26年5月、イコモスによる評価結果勧告。
 ・平成27年6~7月、世界遺産委員会で登録の可否の決定。
 想定したこの道すじは最短コースなのですが、順調にいかない事情も発生してくる可能性もあります。最近、ユネスコに登録申請できる件数は制約されており、本年までは毎年一つの国から二つまで申請できましたが、来年から一つの国から一つしか申請できないようになりました。本年1月、日本政府は、「武家の古都・鎌倉」及び「富士山」の推薦書を提出しました。さらに、平成25年には、「富岡製糸場」の推薦を決めており、次いで推薦されるのは百舌鳥・古市古墳群だとの評価があります。しかし、様々な事情から日本の暫定一覧表に記載されている10件のうち、他の案件が優先される可能性も否定できません。
 海外の人たちに日本の古墳時代の文化や意味合い、住民と共存してきた古墳の現状と保護などを文章にして説明するのは容易な作業ではありません。分かり易く、何を強調するのか、推薦書(案)の難しい検討と作業がすすめられています。

世界遺産登録をめざして 1

街のなかの世界遺産
 百舌鳥・古市古墳群の世界遺産登録へ向けて、動きが活発になっています。
 平成22年11月、国連教育科学文化機関(ユネスコ)の世界遺産暫定一覧表に記載されたからです。この一覧表に記載されていないとユネスコに世界遺産の推薦書を提出しても審査されません。
 これを機に、大阪府、藤井寺市、羽曳野市、堺市で構成する「百舌鳥・古市古墳群世界遺産登録推進本部会議」が設置され、平成27年(2015年)の登録を目指して推薦書の作成などの準備が進められています。
地元自治体では、将来を見据えた古墳の保存・景観保護方策などの検討が行われています。
 昔、古墳は畑地や灌漑用の濠などに利用されていました。今、周辺は市民の憩いの場としてうるおいと安らぎを与えてくれています。 このように古墳は古くから人々の生活と結びついてきました。しかし、これらの多くは、街のなかにあり、周辺まで都市化が進んでいます。 それだけに古墳保護や景観保護の施策を講じるための課題は少なくありません。
 一方、私たち観光ボランティアの会は、広く市内外の人達に古墳を知ってもらおうと地元を中心に活動をしています。 古墳を巡るウォークガイドや古墳パネル展の開催、地元小学校フィールドワークのお手伝い、各種イベントでの世界遺産登録促進PRなどです。
 このように、世界遺産登録へ向けた動きは活発になっていますが、まだ大きなうねりにはなっていません。
そのため、世界遺産登録へ向けた国や地元自治体の取り組み、進 捗状況などを私たちボランティア活動の目線で追い、街のなかの世界遺産が実現するよう協力したいと思っています。