古市古墳群めぐり 南エリア コース


(近鉄道明寺駅)

道明寺天満宮

道 明 寺

三ッ塚古墳

仲姫皇后陵古墳


古室山古墳

応神天皇陵古墳

墓山古墳

峯ヶ墳
塚古墳

日本武尊白鳥陵古墳

安閑天皇陵古墳

(近鉄古市駅)


行程 約8㌔


道明寺天満宮 天満宮.JPG 土師氏の氏神として創建され、のちに一族の子孫である菅原道真公の没後、道真公を主神とした天満宮に改められました。
宝物館には国宝の「伝菅公遺品」を始め、多くの文化財が所蔵されています。また、梅の名所としても名高く、毎年2月から3月に開催される梅まつりには全国から多くの参拝者が訪れます。
 
道明寺 道明寺.JPG 聖徳太子が尼寺を発願され、7世紀中葉に土師氏の氏寺として建立された土師寺が起源。
当初は天満宮の南側参道付近に位置していましたが石川の洪水で天満宮の境内に移り、さらに明治の神仏分離令によって現在地に移りました。
本尊は国宝「十一面観音立像」で、毎月18日と25日に拝観できます。
 三ツ塚古墳 助太山.JPG 仲姫皇后陵古墳の南側にあり、東西に並んだ三基の方墳の総称です。
東から八島塚、中山塚、助太山古墳といい、三基は
周濠を共有して、南辺を揃える特異な景観をしています。
八島塚と中山塚の間の濠底部から大小の修羅が見つかり大きな話題になりました。
(写真は、西側の助太山古墳)
仲姫皇后陵古墳 仲津古墳.JPG 4世紀後半~5世紀初めの築造とされ、墳丘長290mの大型前方後円墳です。
古市古墳群では応神天皇陵古墳に次ぐ大きさを誇ります。周濠は、幅が狭く深い空堀です。応神天皇の后、仲姫の陵とされていますが、古墳の形態などから応神天皇よりも古い4世紀後半頃の大王陵だとする説もあります。
古室山古墳 古室山古墳.JPG 古市古墳群形成期の4世紀後半に築造された墳丘長150mの前方後円墳です。
古市古墳群のなかでは、皇陵関係以外としては最大級の大きさです。台地の高所にあるため、墳頂からは生駒、葛城山系が眺望でき、季節によって梅や桜が楽しめ、市民の憩いの場となっています。
応神天皇陵古墳 h-6応神礼拝所.JPG 5世紀前半の古墳で、第15代応神天皇の陵墓と考えられています。墳丘長425m、全長では仁徳天皇陵古墳に次いで全国第2位、体積では全国第1位の規模を誇る前方後円墳です。北側にある陪塚誉田丸山古墳からは国宝「金銅製透彫鞍金具」が出土し、誉田八幡宮に所蔵されています。 
墓山古墳 5世紀前半の大王級と考えられている前方後円墳で、墳丘長225m、後円部の径135m、前方部の幅153m、幅30~40m濠をもっています。
後円部頂には格子目を刻んだ竜山石製の石棺の蓋石が露出しており、古墳時代中期の典型的な古墳です。
峰ケ塚古墳 桜 峰塚古墳.JPG 5世紀末~6世紀初頭に築造されたと考えられる前方後円墳で長さは96mで、2重の濠をもっています。
出土した遺物は大刀などの武器、銀製の副葬品など3000点を超え、中でも「銀製三叉垂飾り」は他に出土例にないものです。
周辺を整備した公園は、眺望も良く、人々の憩いの場になっています。
日本部尊
白鳥陵古墳
12代景行天皇皇子 日本武尊の陵墓とされています。
日本武尊は、熊襲や蝦夷を征伐し大和への帰途、伊勢の能褒野で病死しました。白鳥となって琴弾原に留まり、更に河内の古市邑に留まったので、それぞれの地に墓を造り、これらを白鳥陵と呼ぶようになりました。
5世紀後半頃の築造と考えられています
 
安閑天皇陵古墳 安閑陵.JPG 6世紀前半の築造と推定される前方後円墳で、室町時代には城郭の一部として取り込まれ変形していますが、墳丘長122mの前方後円墳です。
周濠の北西隅が直角になっており「片直式」古墳とも呼ばれています。また、ペルシャ製のガラス碗(正倉院御物と同種)が出土しています。
「古市古墳群めぐり 南エリアコース」でした。
気をつけてお帰りください。
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